高校生の読解力低下とパソコン操作技術の弱さ!

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 OECD学力調査  国別順位OECD(経済協力開発機構)が3年に1回実施している学習到達度検査(PISA)で日本の高校1年生の読解力が前回に続いて低下し、参加した79の国と地域の中で15位となったという記事が新聞に載っていました。

 文部省はパソコンでの出題に不慣れだったことが一因と推測。

 「子供1人にパソコン1台の学習環境を整える政策を進めることで挽回できるという見方もあるが短絡的だ」と朝日新聞に書かれていました。(参考記事 熊本日日新聞

 今回は、この読解力の低下とパソコン・リテラシー(利用技術)の弱さについて、現場で子供たちにプログラミングを指導していて感じる事を交えてお話したいと思います。

驚くほど弱い子供たちのパソコン利用技術

 教室で子供たちにプログラミングやロボットプログラミングの指導をしていると、一部のお子さんが驚くほどパソコンの操作に疎いことが分かります。

 これは大学生についても問題になっているのですが( 参考文献 『パソコンが使えない理由』 )、彼らの半数以上はキーボードも打てないのでWordやExcelでレポートや履歴書を作成できないそうです。

 パソコンを持っていない学生も多いので、大学でofficeソフトなどの使用方法の講習をやったり、初心者用の街のパソコンスクールに通って操作を習う人も多いと思います。

 彼らのほとんどはスマートフォンやipadのようなタブレットを持っていると思いますが、これらの機器にはフォルダ管理という機能がありません。 作った文書などのファイルを保存用のフォルダを作って、そこに保存し必要な時に取り出したり移動したりする機能です。
 そのため、スマホばかり操作している人は

「新規フォルダをCディスクの直下に作り、そこに作ったプログラムを別名で保存しなさい。」

 と言っても何を言っているのか、まったく分からないのです。

 家にパソコンを持っている小中高校生でも、スマホで大抵の用が足せるので、結局は受験に向けてのテスト勉強が忙しいと言ってパソコンに触らないようです。

世界で唯一、日本の子どものパソコン使用率が低下している

 こんな記事も見かけました。教育社会学者の舞田敏彦さんによると、『日本は世界で唯一のパソコン使用率が低下している』そうです。記事には以下のように書かれていますね。
 
 「日本の生徒のパソコン使用率は低く、発展途上国以下であることが分かる。学校での使用率は最下位だ(縦軸)。教育のICT(情報通信技術)化が著しく遅れている。

 2009年時点で使用率が低かった国では大幅に上昇している。中国のマカオでは19%から71%へと激増した。韓国も23%から63%に大きく増えている。しかし日本だけは下がっていて、2009年には韓国や中国、発展途上国より高かったが、2018年では最下位に転落している
 スマホが普及したためだが、それは他国も同じだ。日本だけでパソコン離れが起きているのは、宿題をしたり作品を創作したりする用途で使う生徒が少ないからだろう。」

 最下位であると。これは凄い数値ですね!

自分に必要な情報をリサーチして真偽を判断する国語の授業は無い!

 近年、 国立情報学研究所の新井紀子さんなどから若者の読解力が落ちてるという指摘がなされています。

 その原因は、日本の小中高校の国語の授業が偏っているからだと思います。

 「小説や評論文に何が書かれているのか?」は問いますが、その内容の真偽を判断させたり、反論を書かせたりはしません。
 
 今の学校教育では、自分から必要な情報をインターネットも利用して検索・収集し、その内容の真偽を判断させる。判断の方法を教えるという事を一切やりません。
 さらに、得られた結論への反論を考えさせることもしません。

 今の国語の授業では『課題への敏感さ(自分が直面している課題に気付く能力)』を養い、『情報探索・収集能力(課題の解決方法・解答をパソコンも利用して検索・収集すること)』が身につくよう授業で探索させ、『事実認定能力(得られた情報の真偽を吟味する事)』本当かどうかを判定するトレーニングをまったくしていません。

 学習塾はこの偏った授業を強化するものなので、なおさら、今回OECDで問うてきたような能力は身に付かないのです。

 これでは、マスコミから流される情報も全て真実と受け取ってしまう人が大半だと思います。

入力と処理ばかりで出力=表現・創造をさせない学校の勉強

 今までの日本の学校で行われて来た教育は、入力一辺倒に偏っています。

 どういう事かというと、小説ならば、読ませて(入力 Input)内容を読解(情報処理)させることはしますが、実際に小説を書かせる(出力 output)事はさせまません。

 音楽もそうで、鑑賞と演奏はさせますが、作詞・作曲はさせません。

 数学もそうで、ある高名な外国の数学者は「日本の数学教育は野球でいえば素振りやキャッチボールなどの練習ばかりやって、一度も試合をしない野球選手のようなもの」と言いましたが、その通りです。(注1
 
 今までの教育は、答が一つ用意されたものを期待通りに遂行するコンピュータ付きのロボットの養成が目的のようなものです。

 AI・人工知能の開発が進む中、今求められているのは起業家や芸術家のような自らの頭脳でアイデアを思いつきそれを実現する人間です。

 では、新指導要領で少しは変化が見られるにせよ、学校はなぜ今なお大きく変われないのでしょうか?

アートは資本主義の行方を予言する  私が長年親しくお付き合いしている東京画廊の山本豊津代表はこう言っています。
 
 「時の権力層によって最も不都合な教育は、物事の課題や問題点に敏感でそれを批判し改善を求める人間を育てる教育である」(『アートは資本主義の行方を予言する』 山本豊津著)

 こういった人間の中には、社会の問題点、課題、矛盾を鋭く感じ改善を要求し、改善が期待できなければ自らが権力を握り社会改革していくことを要求してくる人物がいます。彼らは時の権力者にとっては一番出てきてほしくない人間です。

 また、楽天の三木谷浩史さんはこう言っています。

 「ひょっとして文部省はわざと日本人が英会話できるようにならない英語教育をしているのではないか?」(『たかが英語』 三木谷浩史著)
 
 ご存知の方も多いと思いますが、日本はアメリカの植民地なので、日本の国力を増す政策を自由に行う事は出来ません。
 ですので、今後とも白人の古里である北欧の国々のような自由な発想による『その時代で最良』と考えられる教育が行われることはれないでしょう。

本当に求められる国語やパソコンリテラシー教育は私教育で

札プロ小学生授業風景 学校教育には当面あまり期待できないならどうすればよいのか?

 答は簡単で、学習塾やプログラミング教室などの私教育で優れた教育を実践すれば良いのです。
 私教育には政府の圧力は掛かりません。

 札プロではプログラミングやロボット教師、WEBデザイン講座などでパソコンを使用して次のような教育を行っています。

  1. 授業の中に出来るだけパソコンの操作方法を教える
  2. 授業の中で出て来た疑問点はネット使って検索し、自力で解決するようにきめ細やかに誘導する
  3. 教材に新聞記事も利用し、新聞を読む習慣が身に付くようにする
  4. 新聞記事によって政治経済や世の中の出来事に出来るだけ興味を持つように誘導する
  5. 中高校生については真偽判断力を養うために哲学的思考(注2)が身に付くオリジナル教材を使用
  6. デザイン思考が身に付くオリジナル教材を使用して指導

 札プロでは、これらの内容が知らないうちに身に付くよう自然な形で学んでいくように工夫しています。
 ちなみに、ipadのようなタブレットは一切使用していません。
  

 注1)私が通った小樽商科大学、商学部管理科学科の和田完教授が、『野球の試合の打順は本当に正しいのか?』をプログラムを使って計算し、アマチュアレベルなら4番のホームランバッターから並べた方が得点できるという論文を発表。北海道新聞にその記事が載りましたが、このように一度、数学を使って物事を調査するという事をしてはじめて数学が何の役に立つのか、数学の面白さが分かるというものです。

 例えは、「このワイングラスの容量を数学で求めなさい」という問題を出すと、なぜ微積分があるのかがはっきりと理解できるでしょう。
 微積分とはそのような目的のために作られたものだからです。

 
 注2)哲学的思考とは、京都大学を中心とする関西の大学や、オックスフォード大学などの欧米の一流大学で教育指導の中心となっている概念で、科学などの学問をすることは、自分が知りたいことを発見し、その答を求めることであり、答えは真実でなければならないので、絶対確実な証拠が無ければ真実と断定してはならない。というソクラテスの『無知の知』が出発点となる態度です。

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