私が高校教員時代に、社会科の免許を取得するために受講した佛教大学通信教育の社会科教育法テキストにこのような一文が書かれていました。
「良い教育とは何か?を考えるには、まず自分が受けてきた教育を良く振り返ってその良否を詳しく検討することから始めるべきだ」と。
そこで、自分が受けた教育や、今までの実に多岐に渡った私の豊富な教育実践経験をもとに、今の学校教育や学習塾教育の問題点を語りたいと思います。
中学・高校の教員は固定観念である偏差値ヒエラルキー以外の職業価値や人生を語れません。
国公立大学の医学部を目指して挫折して小樽商科大学に進んだ私は、将来の進路に酷くもがき苦しみました。
小樽商科大学を卒業して就く職業におおよそ興味が持てず、自分には不向きに思えて何の価値も見いだせませんでした。
高校の教員で、「医者以外の人生にはこんなに価値がある」とか、「色んな職業がある」とか、「その内容はこうだ」とか語ってくれた教師は一人もいませんでした。
もしそうであれば、もっと気持ちが楽だったと思います。
なぜそのように話してくれなかったのか?それは教師が学校しか経験したことがないからでしょう。
もっと簡単に言うと、世の中という荒波を経験していない。つまり民間企業に就職したこともないし、俳優やミュージシャンを目指したり、起業したこともないからです。
商業高校教員時代、就職指導で「君たち、そんなことでは世の中に出たら通用しない。世の中はうんと厳しいから気を引き締めて努力しなさい」と学校集会で演説するように同じ進路指導部の同僚教員に言われました。
実際にそうしたら、その教員は「やれば出来るではないですか?横田先生」と言われました。
しかし、私の頭の中は強い疑問で一杯でした。
これは一種の詐欺と言ってもいいかもしれないと。
私は当然ながらこう思ったのです。
「お互い世の中なんて知らないよね。経験がないからね。」
客観的なる『世の中』などないと言ったのは現象学の祖フッサールです。
簡単に言うとヤクザの人生と、外科医の人生は違いますよね。見ている世界や経験がまったくちがう。だから世の中という確固たる共通のものはないのです。
そうではありますが、一度も会社勤めしたことも起業したこともない人間が世間を知っていると言えるでしょうか?
会社勤務や事業経営したことがない商業科教員が、マーケティングや商業を教えられるでしょうか?
経験上、絶対無理です。
ビジネスは格闘技と同じでやってみないと何も分からない。本を読んだり、講義を聴いたりしただけでは駄目です。
では商業教員は何を教えているのか?簿記会計などの技術であり、マーケティングなどの座学は教科書に書いてあることです。
進学校の高校教員は多彩な人生と価値を語れない
同様に、進学校の高校教員も偏差値ヒエラルキー以外の職業価値や人生を、ほとんど分かりません。
「医者だけが優れているわけじゃないよ。例えば証券マンってこういう仕事だし、銀行マンはこういう仕事をする。欧米に行けば売れっ子の現代美術家はロックスター並みの人気があるんだよ。」などと語る高校教師はまずいないでしょう。
理由は簡単。そんな経験も、職業指導ができるようになるための勉強もしたことがないからです。
恐ろしいことは、日本のキャリア官僚、警察官や検察官、裁判官、商社マン、マスコミ人、医師の一部が、この教育ママゴンご推奨の偏差値ヒエラルキーに洗脳されているらしいことです。
戦前が軍国主義と、岸信介のようなスーパー官僚による国家社会主義、統制経済国家の価値観にガチガチに固められていたように、ガチガチの頭になっていることです。
まあ、中高校で見事なまでに洗脳されると言ってまちがいないでしょう。
私は教員と警察、検察官、裁判官、役人は35歳ぐらいまで別な職業を経験し、最低でも5年から7年の民間企業での勤務経験がないと成れないようにした方が良いと思います。
もっとも、警察官は若いうちに鍛えないと刑事になれないかもしれませんので、なれる年齢を引き下げるべきかもしれませんが。
役人や警察や検察官、裁判官の多くは出世のためなら人殺しでも嘘でも、米搗きバッタのように政治家にぺこぺこすることでも、もう何でもしますよね。
まさに、餓鬼というか修羅の道です。
あの村木厚子文部科学省課長をフロップィーディスクの証拠改ざんをして冤罪で有罪にしようとした大阪地検特捜部が、またまた暴力的な取り調べをして起訴して被告人無罪となったにも関わらず、地検の誰も、謝罪もしていないし責任も取っていないのです。
冤罪で有罪にされそうになった一部上場企業の社長である山岸さんはこうおっしゃってます。
「29日の会見で筆者に検察官の印象を訊ねられた山岸氏は「まったく世界が狭く、世間では常識になっていることも知らない」(参考ページ)
事件を起こした田淵大輔らの検事は、恐らく大学合格や司法試験合格のためなら何でもした経験から、取り調べで被疑者を有罪にできたという点数稼ぎのためなら手段は選ばないのでしょう。
それの何が悪いのか分からないのでしょうね。
しかも参考ページにあるとおり、同僚の末沢岳志検事、山口智子検事は善人刑事役になって調書へサインさせようとし、さらに主任の蜂須賀検事は取り調べの録画も視ていてすべてを把握していたそうです。
この田淵大輔検事は、日大アメフト部大麻事件での記者会見で不遜で高圧的な態度が悪評を買った澤田康広元宇都宮地方検察庁次席検事とともに、冤罪が強く疑われている今市事件の担当検事だったのですねえ。
やはり、大学教育も含め受けた教育、特に教育者が悪かったのでしょうね。
澤田康広副学長は日大法学部出身ですしねえ。(苦笑)
さらに救いようが無く酷いのは、NHK特集にもなった、警察官が出世のために証拠をねつ造して、実際の裁判で同僚の警部が「出世狙いのその警官は法律違反をねつ造している」と証言し起訴取り消しとなった大川原化工機公訴取り消し事件がありましたが、警察が送って来た書類をみて起訴した検察官が木村厚子さん冤罪起訴事件の時に、フロッピーディスク書き代えの事実を公にすべきと強硬に主張した塚部貴子検事であり、かつ「起訴したことは間違っていなかった」と反省もせず居直っていることです。
こういった、警察や検察、裁判官の人質司法などによる不祥事は数多い訳ですが、自浄作用が働くことは絶望的で今日もまた相変わらず、脅迫による捜査が行われているのです。
自分の個性化=自己実現ではく他人の期待や固定観念に支配されて生きているマザコン人間
世界でベスト5に入る経営大学院=ビジネス・スクールでフランスにあるINSEAD(インシアード)の卒業生の留学報告会に参加したことがあります。
入学前から課題が送られてきて、とにかく口を酸っぱくして
「多くの人が親や家族など誰かの希望や価値観、期待に応えようと生きてきています。
とにかく入学前の今までの人生を振り返り、その着せられてきた服を脱いで自分の本当の欲望、希望を見いだし、それとINSEADが提供できる授業・指導の共通点を捜して、学習したい内容をレポートにして提出してください。」
と言われたそうです。
そして、入学後も半年は、何度も何度もこのことを確認されたそうです。
私は皆さんに考えてもらいたいことがあります。文系なら東大の法学部や経済学部に行ってキャリア官僚や検察官、裁判官になることがベストである。理系なら東大理Ⅲや京大医学部に行って医者になることがベストであるという価値観が進学校にはある。
私が卒業した旭川東高校もそうでした。いやむしろガチガチのこの価値観しかなかった。
しかし、それが本当にそのように進学した人にベストであると言えるでしょうか?
もうずっと前から、東大医学部や京大医学部には医師になりたくはないけれど、勲章として受験し合格する人が相当数いると言われてきました。
ですから、東大医学部の医師国家試験合格率はけっして高くないし、何浪もしている人も珍しくありません。
教育ママゴンや進学校教員ご推奨の進路を、自分の興味・関心で進まず世間一般の権威という勲章を求めて進んでいくわけです。
『事務次官』だとか『検事総長』だとが『東大医学部教授』とか。
彼らはユング心理学でいう個性化=自己実現、つまり自分の素質や適性を全面的に開花させること。個性ある唯一無二の自分になるべく努力するのではなく、森友文書改ざんの佐川宣寿が国税庁長官になり、伊藤詩織さんレイプ事件での容疑者山口敬之逮捕の中止を指示して検察庁長官になった中村格などのように、役職に就くことが自分のアイデンティティであり、自分のこの世での存在理由なのでしょう。
だから、「善良な検察庁長官になって国民に奉仕したい。名長官として歴史に名を残したい。」などとは爪のアカほども考えていないでしょう。
ハーバード・ビジネススクールの伝説の名教師、クレイトン・クリステンセンはハーバード・ビジネススクールの卒業生で後にエンロン事件のような不祥事を起こす人のほとんどが『自分が在学中に本来希望していた進路を断念して、学費返済など当面のお金の工面のために意に反して投資銀行などに就職した人』であると言っています。
なぜ不祥事を起こすのか?クリステンセンが言うには、だんだんと仕事が面白くないことの苦痛が増していってついに耐えがたくなり、仕事をするのが馬鹿々々しくなり悪事に走るそうです。
元警察官で『警察腐敗』という警察の暴露本を書いた黒木昭雄さんは「平気で同僚をはめたり、悪事に手を染めるようになった警察官が増えた原因に、警察になりたくてなったのではなく、公務員として安定した生活を送りたくてなる人が年々増えたことがある。目的が安定なのでより安定するには悪事も平気でする。
警官としての仕事はしたくないから、捜査にいくべきところも嘘を言ってサボって行かない。」とその本で書いています。
「事件にならないと警察は動かない」という背景にはこのこともあるのではないでしょうか?
私は、彼らの背後に、有名大学に行ったり、出世して肩書が上がったりすることを「偉いわねえ。あなたは本当に優秀ねえ。」と褒める母親や、母親役の妻がいるように思えてしょうがないのです。
マザコンですね。日本型のマザコン。
今の日本の政治家や役人の多くはマザコンだと思っています。
小学生になってもお手伝いさんに添寝してもらっていた安倍晋三や、母親を祖父の吉田茂に秘書として取られ、いつも家に兄弟とお手伝いさんと過ごしていた麻生太郎とか。
いわゆるネグレクト家庭、欠損家庭ですね。
決定的な問は、どれだけ多くの金を持っているかではなく、あなたが何者なのか?ということです!
『母性社会 日本の病理』という本を書いたユング心理学者の河合隼雄さんは「もっとも重要な問は、その人間がどれだけの資産を持っているかではなく、その人が何者なのか?ということです!」といっています。
同じ事を経営学者のピーター・ドラッガーも言っています。
「人間は若い時に何によって世間に憶えられたいかを決めるべきだ。例えば腕の良い歯科医とか、欧米一の経済学者とか」
例えば私の場合なら『日本No1のギャラリスト東京画廊の山本豊津代表から村上隆と並ぶ日本一の画家と評価されてる現代美術家』であり『最も多くの年齢と職種の人に30年前から教えてきたプログラミング教育の第一人者』として知られています。
第一人者って、普通は自分で言わないですが(笑)、事実なのだから良いではないですか?
それと比べるとマザコンの彼らは、何者でもなくただ肩書があるだけです。別なお役人と取り替え可能な人間です。
別なお役人との差などたいしてない。ただ権力者の命令にしたがって、部下に命令するだけです。
ヒトラーが挫折した画家であることは有名ですが、ナチスで残虐な行為を先頭にたって行ったのは、ドラッガーの新聞社での同僚のように、うだつがあがらず普段は目立たず、ドラッガーに嫉妬してい人たちのようです。
彼はナチスに入って、ドラッガーの亡命を阻止しようとドラーガー宅を訪ねていって自分と一緒に新聞社を経営しドイツに残る事を断られてこう言ったそうです。
「俺はお前が羨ましかった。仕事が出来る華々しいお前が。だけどな、新聞社は俺を認めなかったがナチスは俺を認めてくれたんだ。見ていろ。俺は必ず有名になってやる!(怒)」
実際に彼はドイツの敗戦直後に逮捕され有名になったそうです。ナチスで最も多くのユダヤ人を虐殺した身の毛もよだつ悪魔のような男として。
人殺しでも何でもする役人たちの行動の理由が、この点に気づくと理解できますよね。
日本会議のメンバーなどに、基本的人権を制限しようと鼻息の荒い議員らがいますが、創造力ある人間の個性に強い劣等感を持っているのではないでしょうか。
目障りである『何者か!』である人間を抑圧して活動できないようにしたいと。
ファシストとは劣等感を持つうだつのあがらない人間なのではないでしょうか?
ヒトラーがドイツ画壇のスーパースターだったカンディンスキーやパウル・クレーを酷く毛嫌いしたように。
先の中村格や佐川宣寿は本来、検察庁長官や国税庁長官などに成れる人材ではなかったと言われています。
中村格が菅義偉に飛ばされそうになって、米搗きバッタのように地面に頭をすりつけて何度も土下座して出世させてもらったように、安倍・菅政権を支えた官邸官僚のほとんどは、出世街道から外れた負け犬だったようです。
能力にも問題があるし、頭には権力欲と恐らくは性欲しかない。信条も理念も正義感もない。
ゆえに必然的なことですが、皮肉なことに、中村格が警察庁長官になったばかりに安倍晋三の警備に不備があったせいで射殺され、本人は責任を取らされて辞職しました。
まあ警備に気合が入っていなかったのは、『上を向いて歩こう』人間ですから、当然でしょうねえ。中村にとって安倍晋三や菅義偉などは利用価値があったればこそで、どうなろうとどうでも良かったのでしょう。
つまり、手抜きでしょうねえ。
では本当に高校の教員は世間のことや多様な価値を知らないのでしょうか?
今まで色々お話ししましたが、本当に高校教員は世間のことや多様な価値を知らないのでしょうか?
私の高校教員時代の経験では、一概にそうとはいえませんでした。
文学や芸術に興味のある教員も何人かいましたし、国語の教員は大学で文学を学んでいる人も多いので、芸術への素養を持っている人も多かったです。
ただ、それを授業の中でお話しすることが少ないのではないかな?という印象を持っていました。
私の高校教員時代の同僚の若手教員の多くは、たいてい、自分が高校時代に受けた教育があまりに酷かったので、自分が教員になってまともな教育を実践しようという人でした。
では学習塾の経営者はどうでしょうか?
私は10年以上札幌で『横田進学教室』という小中学生対象の個別指導学習塾を経営した経験があります。
学習塾の経営者は実業家です。その経験は豊富ですが、進学塾であるほど偏差値ヒエラルキーを信奉している人が多いと思います。
というより、進学塾の経営はそのように吹っ切れていないと仕事にならないというのが真実だと思います。
昔からよく「今の子供は塾と部活で遊ぶ時間を取られて可哀想だ」と言われ、今の世相の問題点の一翼をあたかも塾が担ってきたように言われてきました。
しかし経験上、学校はともかく塾が子供の精神的な成長に悪影響を及ぼしているという例は一部の行き過ぎた進学塾以外に見たことがありません。
一部の行き過ぎた進学塾は週3回、6時から9時までの授業をしていたりしましたが、これは子供の自由時間を確かに奪っていると思います。
しかし、その塾を選ぶのは親であり、本人なのです。
これは今でも変わらない私の学習塾の社会的存在意義への信念なのですが、学習塾の一番の仕事は学校で虐められたり、教師に理不尽な扱いを受けた子供と親の駆け込み寺であることです。
学校の勉強を通じて、学習指導もしますが、むしろ虐めの駆け込み寺という仕事の方が重要です。
なぜなら、酷い虐めにあったり教師の横暴にあったりして学校からも相手にされなかった場合、もう学習塾の、特に経営者しか頼る先がないからです。
さらに、唯一何の遠慮もなく堂々と小学、中学の校長や担任に殴り込んで事情聴取と直談判に行けるのも学習塾経営者だけです。
事は重大です。生徒の命が掛かっているのです。
学習塾経営者の子供に与える影響は担任と同じかそれ以上に大きいです。
どだい虐められるなら学校なんて行かなくいいのです。
本当は虐めてる子を隔離すべきなのですが。
実際はそうならない訳です。
ならば勉強は塾で学べばよい。
小中学校の勉強など簡単なので塾に週2回通うぐらいで充分なのです。
何しろ毎回、1対1で深く付き合い色々な相談を受け、話をするのですから。
学習塾経営者の多くに、多様な職業の価値や、多様な価値観を教えてもらうことは一般的には難しいと思います。
ただし、私は経営する塾の『自学自習力育成講座』で、国語、社会の教材に『ソクラテスの無知の知』や『ゲーテのファウスト』、西田幾多郎の『哲学の道』などを使用してきました。
学習塾は何を教えるかに制約がないので、どのような教育をするかは自由で当然ながらその内容は千差万別でしょう。
ただ、やはり学習指導に偏り過ぎている塾が多いように思います。
学習塾経営者に欠けているのは学校現場での経験。教師としての経験です。
学習塾経営者に欠けているのは学校現場での経験、教師としての経験ですね。
学校現場の大変さや、難かしさを知りません。
教師は不良や半グレも相手にしなくてはならないし、部活動や事務仕事もやらなくてはならない。
生徒も指導もしなくてはならないし、事務仕事もしなくてはならない。
休日に部活動の引率で働かなくてはならない。
また、学校で起こる問題や事件の真相も知らない。
それと、これは学習塾教材販売会社の重役の人も言っていましたが、普通の社会人としての礼儀・作法がなっていない人が圧倒的に多いです。
例えば、どこかのセミナーを一緒に受けた。
それで、別なセミナーで顔を合わせても挨拶もしない。
他の塾の見学会に行った時も、質問するのに誰に対してもタメ口である。
なぜそうなのか?の理由は、わたしにも分かりません。(笑)
色んな教育現場での指導経験や現代美術家、起業家としての経験をもとに教育活動に当たっています!
札幌WEBプログラミングスクールを経営する、私、横田昌彦は、自分でいうのも何ですが、公立高校でプログラミングの授業を担当していた教師であり、プログラミング専門学校の担任であり、学習塾の経営者であり、他にも札幌を代表する飲食店グループのWEBプロデューサー兼WEBデザイナーとして勤務した経験もあります。
自分以外に元高校教員で学習塾やましてやプログラミングスクールを起業した人はいません。
このように、実に多様な職場環境で、小学生から社会人まで多くの年齢層の人達に教育指導をし、共に仕事をしてきた人間は日本でもいないと思います。
先程もお話した通り、学習塾の一番の仕事は虐められた人の駆け込み寺。
私はその豊富な経験で、技術だけでなく、学ぶ生徒さんの豊かな心の育成にも微力ながら日々取り組んでおります。
札幌WEBプログラミングスクールは元々、大学生・社会人が異業種からプログラマやシステムエンジニア候補生として就職・転職するための職業訓練スクールであり、元々公立高校の教員としてCOBOL言語やBASIC言語のプログラミングを担当していたこともあり、20年以上に渡って、小学生にもJavaやC,BASIC言語のプログラミングをスクラッチも使用しながら指導してきました。
このように20年ほど前から、確かな指導経験と見識を備えて小中高校生にプログラミング指導を行って来たスクールは他にないと自負しています。
札幌WEBプログラミングスクールは日本で最初の小中高校生対象のプログラミングスクールであり、この革新性は驚異的であると言えます。
札幌WEBプログラミングスクールでは、小中高校生コースの生徒たちが、プログラミングの楽しさや奥深さを感じることができるように努めています。私たちは、生徒たちが将来の夢や目標に向かって、自信と情熱を持ってプログラミングに取り組むことができるようにサポートしています。
日本のプログラミング教育No1教師の授業を体験してみませんか?
札幌WEBプログラミングスクールは2000年に創立した日本で最初に受講したい時間に自由に予約して受講できるスタイルのWEBデザイン・プログラミングスクールです。
また、日本で最初の小中高校生対象のプログラミングスクールでもあります。
代表の横田昌彦は、北海道の公立高校教員を始めとして、小中高校生、大学生、社会人まで指導総生徒数 3940人、経験年数 33年、 授業時間数 42847時間をプログラミングとWEBデザインの授業をしてきた日本で最も豊富な教務経験を有する教育者です。
これほど、多様な学校で幅広い年齢層にIT関連教科の学習指導をしてきた人間は日本では他には間違いなくいないでしょう。
この指導実績をご覧いただければ、札幌WEBプログラミングスクール代表の横田昌彦が『日本のプログラミング教育のパイオニアにして第一人者』を自称しても間違いないでしょう!
経産省の基本情報技術者試験に33名、応用情報技術者試験に8名、サーティファイ認定試験に174名など合計242名ものプログラミング資格試験合格者を輩出しています。
このようなプログラミングスクールは日本には存在しません。
札プロにご興味のある方は、まずは、気軽にご予約の上、無料相談・無料体験を受けてみて下さい。
プログラミング指導33年。札プロ授業の驚くほどの分かりやすさと、ITテクノロジーへの深く確かな知識を実感していただけると思います。
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